こんにちは、Taiseiです。今回は、先日「教師・保護者は学力をどこまで重視するべきなのか」というテーマを題材に、学校の先生や民間企業の方・保護者の方々とお話をする機会があったので、そこで感じたことを書き留めておきたいと思います。
– 自己紹介 – 某スポーツ関連会社に勤め、某社会人サッカークラブで企画/運営をしながら、スポーツの本質的な価値とクラブチームが成せる唯一無二の価値に魅了され、それらを通じて関係する人々がお互いに協力し合って日々成長し、より豊かな明日を過ごせる、そんな人々をつなぐライフプラットフォームのような「共育の場」を創ろうと新会社を立ち上げた者です。
それぞれが求める「学力」
教師が求める「学力」、保護者が求める「学力」、話を伺う中でとても奥が深くて難しいテーマだと率直に感じました。それは、教師の間でも保護者の間でも、人それぞれ価値観の違いが勿論あるのと、何よりも大前提として、そもそも「学力」をどう捉えているか、に大きな相違がありそうでした。
それらを踏まえて私が感じた、「イコールになるのか」という部分についての結論は「No」です。上記の通り、価値観と前提の違いがあるので、「近づけることは出来るかもしれないが、イコールはやはり無理、、」という想いは多少あるものの、どちらかというと、もっとポジティブな「No」になりますので、それらの整理を書き留めておきます。
そもそも「学力」とは。
2020年3月に新学習指導要領「生きる力」 が文部科学省より公示され、その中で、以下のように「確かな学力」と「学力の3要素」が記載されています。(出典:Z-kai(国が考える「生きる力」))
生涯にわたり学習する基盤が培われるよう、基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度を養うことに、特に意を用いなければならない(学校教育法第30条第2項)
文字通り、ということになるでしょうか。
①学んだ力(知識・技能)
②学ぶ力(思考力・判断力・表現力)
③学ぼうとする力(主体的な学習意欲)
また、①がいわゆる「認知能力」に近く、③にいくほど「非認知能力」といわれる力ともいえるでしょうか。すなわち、「認知能力・非認知能力のどちらも大事」ということですね。
これらの通り、単に「学力」といっても幅広い概念で、「生きる力」を踏まえた広義に語られる場合もあったり、狭義に「知識・技能」としての「学力」で語られる場合もあったりと、冒頭の「前提の違い」は当然出てくるものだと理解しました。従って、お互いが語り合う際には、各々が何を前提にして語っているかをしっかり受け入れる必要が大前提あると感じました。
求める「学力」がイコールでなくてもいいのでは
これが、先ほどの「ポジティブなNo」になります。上記の通り、「学力」の概念は幅広く、これを子どもたち一人一人に合わせて育んでいくのは、学校教育だけでも家庭教育だけでも難しいのではないでしょうか。
従って、求める「学力」を同じにしてどちらかに任せるのではなく、お互いの「前提」を理解した上で、お互いの「価値観」をしっかり共有し連携することができれば、学校が求める「学力」=家庭が求める「学力」ではなく、学校が求める「学力」× 家庭が求める「学力」という役割の中で大きな相乗効果が生まれるのではと感じました。
ただ、現状はお互いの「想い」を共有できる環境が殆どない、というのが実体ではないでしょうか。学校と家庭が繋がる場・時間は殆どないと皆さん口を揃えておっしゃいます。まずは、ここの連携の場を如何に多く作ることが出来るかが一つの大事な要素ではないかと思います。
そのような想いを胸に、今後も、教師や保護者、それだけでなく民間企業の方、学生の方などが、情報を共有し語り合える、そのような連携の機会を少しでも作っていければと思っています。そして、そのような動きが何かのきっかけになればと強く願っています。
ご興味ある方は、ぜひ月2回開催している「コエドカフェ(co-education cafe)にご参加ください。
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横田 泰成 | Taisei Yokota
某スポーツ関連企業:スポーツを通じて社会を豊かにする | 某共育関連企業:より豊かな明日へ”スポーツ”と”教育”を通じて共に成長できる環境づくり | 某社会人サッカークラブ:クラブを通じてメンバー・家族・地域、全ての人が成長し幸せになれるチームへ